
ホスト新人その存在に悩む夜。
「……さっきのお客、俺の名前、一度も呼ばなかったな」
国見は、店の休憩室で呟いた。
緊張の初日を越え、ようやく席に呼ばれるようになったものの、
会話の中で自分の“名前”が登場することはほとんどなかった。
笑って、相槌を打って、お酒を作る。
それでも──そこに“国見”はいなかった。
「存在していなかったみたいだった」
呼ばれない名前は、存在しないことと同じ。
新人ホストの現実は、静かに心を削っていく。
しかし、逃げ出すことは簡単だった。
それでも彼は、その夜もスーツに袖を通す。
なぜなら──“誰かの隣にいるだけ”から、
“指名される存在”になることが、目標だったから。
名前のない裏社会と、東條の孤独
一方、組織の片隅。
東條は血のにじむ拳を洗い流していた。
「名乗るな」と言われる立場。
組織において、“名前を持つこと”は責任とリスクの象徴だった。
だからこそ、誰にも“東條”と呼ばれずに済むこの環境は──
安全である反面、圧倒的に孤独だった。
「存在感がない方が、生きやすい。だが、それは……生きてると言えるのか?」
誰にも名前を呼ばれず、誰からも覚えられない日々。
それでも彼は、組織の下っ端として、黙々と“汚れ仕事”をこなしていた。
ただ一人、国見という名前を知っていることが、彼を繋ぎ止めていた。
新人が存在を刻むために──名を持つ者たちの決意
夜明け前、歌舞伎町の空気が変わり始めた頃。
国見は閉店後の店の窓際に立ち、街を見下ろしていた。
「次こそ、名前で呼ばせてみせる」
その言葉に、誰も答えなかった。だが、彼の目は揺るがなかった。
その頃、どこかの雑居ビルの一室で、東條は再び拳を握っていた。
「“名乗る資格”を奪われたまま、生きてたまるかよ」
彼らの距離は遠い。だが、想いは交差している。
“名を持たないこと”に苦しんだふたりが、
いつか、この夜の街で――“名を刻む”。
それはまだ遠い話。
だが、この夜が、その始まりだった。
