終電の名刺|夜の名刺 短編集 第1話

終電の名刺|夜の名刺

終電の名刺|夜の名刺 終電が消えた交差点は、急に静かになる。
だから俺は、いつもこの時間に呼ばれる。

俺は夜専のタクシードライバーだ。
終電後の交差点から交差点へ、黙って人を運ぶ。
だから、夜の「負けた顔」も何度も見てきた。

そして今夜も、後部座席に細い男が滑り込んできた。
香水が強い。けれど、声は弱い。

「歌舞伎町から……とりあえず、川沿いまで」

了解、と言いながらミラーを見る。
しかし目は合わない。代わりに、スマホの画面だけが青い。

「仕事帰りですか?」

話しかけたのは、沈黙が長すぎると客が壊れるのを知っているからだ。
すると男は、笑ったようで、笑っていない顔をした。

「仕事っていうか……まあ、」

つまり、夜の人間だ。
だからこそ、俺は余計に話を聞かない。
それでも、呼吸の荒さだけは拾ってしまう。

しばらくして、男が小さく舌打ちをした。
そして、画面を伏せる。

「……飛びやがった。クソ」

言い方が妙に丁寧で、だから余計に重い。
俺はハンドルを切りながら、ただ黙っていた。

すると男は、急にまじめな声で、

「運転手さんって、領収書、出せるっすよね」

「出せますよ。宛名どうしますか?」

男は一拍だけ黙って、胸ポケットを探った。
そして名刺を一枚、指で挟んで差し出す。

受け取ろうとした瞬間、男が手を引っ込めた。

「……やっぱ、いいです」

「宛名、空欄で?」

「いや領収書はいいです。」

落とした名刺

その瞬間名刺が、膝から床へ落ちた。
黒地に、金の文字。
名前の横に、店のロゴ。

俺は拾って、返却した。

「捨ててください」

俺は黙ってダッシュボードの小物入れに入れた

男は黙って窓の外を見ている。
返事はない。息だけが浅い。

川沿いで停まる。
男は料金を払う。
端数を切り上げて置いた。

「お釣り、いいっす」

そうしてドアを閉める前、男が一度だけ振り返った。

「……待って」

さっきより、目が生きている。

「やっぱり名刺……返して」

俺は黙って渡した。
男はそれを、握り潰さないように、丁寧にしまった。

「すいません」

「いいですよ!」

ドアが閉まる。
背中が雨に飲まれていく。

俺は発進した。
――やめられないんだな。
あの紙一枚が、明日の自分を繋いでる。

次の信号で、無線が鳴った。
また別の夜が、俺を呼ぶ。

夜の名刺を“手放さずに済む”店を選ぶということ

名刺一枚にしがみつく夜がある。だからこそ、最初に選ぶ店で未来が変わる。

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